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試訳「マラーズギルドの会戦」②

試訳「マラーズギルドの会戦」①の続きです。フランス国立図書館写本175ページ11行目から176ページ6行目までです。8.そのとき、木曜日の早朝になり、スルターン・アルプ・アルスラーンは彼の兵の残りの許へ到着し、川辺に野営した。ビザンツ皇帝は、1100の騎兵と5万のスルタン軍に所在地のラフワ(ヒラート近郊)を知られてしまった。スルターンは手紙を送って、謙虚な質問を送った。彼(スルターン)が彼ら(ビザンツ)の様子を試して、...

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試訳「マラーズギルドの会戦」①

今日は大セルジューク朝のスルタン・アルプ・アルスラーンがビザンツを破った日という話を見てイブン・アル・アディームの『アレッポの歴史』の中にマラーズギルドの会戦の記録があるのを思い出し急遽翻訳するに至った。しかし、記事が全部で20段落もあり筆者の語学力不足のため全編を一日では7段落翻訳するのが限界だったため複数回の記事に分けることにした。今回翻訳する箇所は第14章で、ミルダース朝を紹介する章の流れに位置...

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『アレッポの歴史』試訳「マリクシャーの死」から「アレッポでのバルキヤールク」まで

「マリクシャーの死」スルターン・マリクシャーはバグダードでヒジュラ暦485年のシャッワール月第16日に死亡した。アクスンクルは既にアレッポから出ていて、アレッポから使節をそこへ派遣した。そしてそこに知らせが届いたとき、彼は再びアレッポへ戻った。そして僅かな間に彼(マリクシャー)の息子のマフムードのためにフトバを行なった。そしてまことにその後にタージッダウラ・トゥトゥシュのためのフトバが行われた―上記のこと...

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【史料解題】イブン・アル・アディーム『アレッポの歴史』について

最近セルジューク朝史をもう少し詳しく調べてみようと思い、史料を講読してみようと考えた。そこで、まずはその史料についてまとめてここに載せてみようと思う。今回講読する史料は13世紀の歴史家のカマールッディーン・イブン・アル・アディーム(1192-1262)による『アレッポの歴史』(Zubdat al-Halab min ta'arīkh Halab)である。この史料はイブン・アル・アディームによるアレッポ史の人名事典である『アレッポ史探求への渇望』(...

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