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書評: ジョナサン・ハリス、井上浩一訳『ビザンツ帝国 生存戦略の一千年』

この本はジョナサン・ハリス先生が書いた"The Lost World of Byzantium"をビザンツ史家の井上浩一先生が翻訳を手がけ、2018年の1月に出版されたものである。

以前も井上先生はハリス先生の著書『ビザンツ帝国の最期』(原題は"The End of Byzantium")を翻訳されていて、今回もこの二人による共演が見られるとなると嬉しさのあまり購入した。

分厚い上濃厚な作りになっている。如何にして一千年生き延びていったかという問題設定のためか、他の通史で人気な皇帝にも再検討がなされているところが痛快である。そのため、他の通史(『生き残った帝国ビザンティン』『ビザンツとスラヴ』)などと比較しながら読むと更に読み応えがあって深く読めるであろう。

この本では、ビザンツ史をその時代を飾る有名な皇帝についての説明とそのエピソードを交え、ビザンツ帝国が時代ごとの変化にどう対応して一千年生き延びていったかを解説している。

この本の特徴として、ビザンツ諸皇帝に対して従来の邦語通史にはあまり見受けられない評価がなされていることが多い。例えば、ニケフォロス2世フォーカスの評価が他の通史では敬虔な軍人皇帝として正の側面を多く記述しているのに対し、本書では、ニケフォロス2世の兵士が市民の家を略奪するのを咎めないなどの、負の側面についても詳細に記述している。このようなニケフォロス2世の負の側面は『スキュリツェス年代記』におけるニケフォロス2世の記述を読んでいたため知ってはいたが、その評価がこの通史にも採用されていることは極めて重要である。

バシレイオス2世については、今までの通史に比べて、功罪の「罪」の部分である小アジア属州貴族に対する負のイメージが残ってしまった点についてもハッキリと記載しており、その後の皇帝の「長い影」となっていると評している。

コムネノス朝に関して言えば、マヌエル1世の評価が高いのは他の概説書と共通するが、今までの通史と比してヨハネス2世への評価はやや手厳しいものとなっている。恐らくラテン人に対して強硬策をとり、それが上手く行かなかったことに対する批判であると推測される。

また、他の通史や『ビザンツ帝国の最期』ではあまりスポットライトが当てられてこなかったヨハネス6世カンタクゼノスについても彼の著書の『歴史』を度々引用しつつ紹介している。カンタクゼノスの政策は資金不足のため失敗してしまった。だが、その政策自体は過去から受け継がれてきた、援軍を求めて外国君主を味方に引き入れるというものだった。

細かい記述の中で特に目を引いたのは、古代末期にキリスト教化していくローマ帝国がキリスト教化していく流れのなかで、同性愛についてより厳しい法律が制定されていく過程について触れているところである。この記述についても他の通史にはあまり見受けられないため興味深く感じられたが、これは現代における同性愛に対して寛容にあるべきだという社会の風潮の変化からくるものであろうか。

ビザンツ帝国に関する著書も、最近は海外の研究書を邦訳したものが増えてきている。在野の歴史好きにも手に取りやすい形にしてくれるのは非常にありがたい。そんな中で「どう一千年生き延びたか」というビザンツ帝国研究の上でぼんやりとでも持っておくべき問題設定を改めて意識するきっかけともなるような本が翻訳・出版されたことは大変重要であり、白水社と井上先生に大いに感謝している。

『ビザンツ帝国 生存戦略の一千年』の重刷が決定したという報せを聞いて、ビザンツ帝国史という分野がこの本とともに人口に膾炙することを強く願っている。
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