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トレビゾンド帝国滅亡の日

1461年8月15日はトレビゾンド帝国の滅亡の日である。そして奇しくも聖母就寝祭(被昇天祭)の日である。そのため今日はトレビゾンド帝国の最後の皇帝のダヴィド大コムネノスが聖人として認定されたときのニュース記事を見つけたのでここに翻訳する。

元記事はhttp://www.omhksea.org/2013/08/canonization-of-new-saints-by-the-ecumenical-patriarchate/
(最終閲覧日は2017/8/15)



コンスタンティノープル総主教座での新しい聖人の列聖

2013年の7月に府主教ドラマのパウロス猊下によって作られた計画ののち、最後のトレビゾンド皇帝のダヴィドと彼の息子のバシレイオス、ゲオルギオス、マヌエルと、彼の甥のアレクシオスが聖シノドの総主教座の列聖の公認を得て正式に聖人となった。彼らの式典は11月1日に祝福される予定だが、この日は彼らが殉死した日である。

聖致命者ダヴィドはオスマン帝国によってコンスタンティノープルで彼の甥と三人の子供と共に1463年の11月1日に死刑執行された。

該当する写本はコンスタンティノープル総主教座に収蔵されている。それによれば、

「ダヴィドがメフメト2世の前に現れたとき、スルタンはダヴィドに二つの選択肢を与えた。信仰を放棄して生き続けるか、あるいは、彼と彼の家族全体が殺されるか。この恐ろしい提案からダヴィドは二つ目の案を選び勇敢にメフメトへ言った。「拷問は私の父祖の信仰を放棄するところまで私をもたらすことはない。」そしてダヴィドは永遠に自分の帝冠を殉教者の光輪と交換しに行った。」

と書いている。



(以下、ポンティアノスによるコメント)
トレビゾンド帝国の最後の皇帝のダヴィドはその影の薄さやコンスタンティノス11世パレオロゴスとの対比からどうしても過小評価されがちである。たとえばジョージ・フィンリーはダヴィドは弱く卑怯な皇帝と評されている。だが、近年はそんなダヴィドを再評価する動きが各所で見られる。たとえば根津由喜夫氏は『図説ビザンツ帝国』において目立った抵抗もなく屈服したダヴィドについて勝ち目のない戦いに突入して町が壊滅するよりも、大多数の住民の生命と財産が保全されたことは看過すべきでないと評価している。加えて、イオアニディス氏はコンスタンティノス11世パレオロゴスとダヴィド大コムネノスを、国のために戦った英雄と信仰のために戦った英雄として比較している。このイオアニディスの研究をサニドプーロス氏は紹介している。近年ダヴィドが聖人として列聖されたのもこうした再評価の流れの中のものであろう。


参考文献

根津由喜夫『図説ビザンツ帝国 刻印された千年の記憶』(河出書房新社、2011年)
Finlay, George. The history of Greece: from its conquest by the crusaders to its conquest by the Turks, and of the empire of Trebizond: 1204-1461. Edinburgh: W. Blackwood, 1851.
http://www.johnsanidopoulos.com/2013/11/saint-david-great-komnenos-and-last.html?m=1
(最終閲覧日2017/8/15)
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