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試訳「マラーズギルドの会戦」①

今日は大セルジューク朝のスルタン・アルプ・アルスラーンがビザンツを破った日という話を見てイブン・アル・アディームの『アレッポの歴史』の中にマラーズギルドの会戦の記録があるのを思い出し急遽翻訳するに至った。しかし、記事が全部で20段落もあり筆者の語学力不足のため全編を一日では7段落翻訳するのが限界だったため複数回の記事に分けることにした。今回翻訳する箇所は第14章で、ミルダース朝を紹介する章の流れに位置...

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トレビゾンド帝国滅亡の日

1461年8月15日はトレビゾンド帝国の滅亡の日である。そして奇しくも聖母就寝祭(被昇天祭)の日である。そのため今日はトレビゾンド帝国の最後の皇帝のダヴィド大コムネノスが聖人として認定されたときのニュース記事を見つけたのでここに翻訳する。元記事はhttp://www.omhksea.org/2013/08/canonization-of-new-saints-by-the-ecumenical-patriarchate/(最終閲覧日は2017/8/15)コンスタンティノープル総主教座での新しい聖人の列聖2...

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『アレッポの歴史』試訳「マリクシャーの死」から「アレッポでのバルキヤールク」まで

「マリクシャーの死」スルターン・マリクシャーはバグダードでヒジュラ暦485年のシャッワール月第16日に死亡した。アクスンクルは既にアレッポから出ていて、アレッポから使節をそこへ派遣した。そしてそこに知らせが届いたとき、彼は再びアレッポへ戻った。そして僅かな間に彼(マリクシャー)の息子のマフムードのためにフトバを行なった。そしてまことにその後にタージッダウラ・トゥトゥシュのためのフトバが行われた―上記のこと...

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【史料解題】イブン・アル・アディーム『アレッポの歴史』について

最近セルジューク朝史をもう少し詳しく調べてみようと思い、史料を講読してみようと考えた。そこで、まずはその史料についてまとめてここに載せてみようと思う。今回講読する史料は13世紀の歴史家のカマールッディーン・イブン・アル・アディーム(1192-1262)による『アレッポの歴史』(Zubdat al-Halab min ta'arīkh Halab)である。この史料はイブン・アル・アディームによるアレッポ史の人名事典である『アレッポ史探求への渇望』(...

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ビザンツ帝国滅亡時のトレビゾンド帝国について

今日はコンスタンティノープルがオスマン帝国に征服されてビザンツが滅亡した日である。そのとき、トレビゾンド帝国はどう行動していたのであろうか。当ブログでは、このときのトレビゾンド帝国の政治外交についてまとめる。ビザンツ帝国がオスマン朝の標的になっていたように、トレビゾンドもまた、15世紀にオスマン帝国の標的となっていた(1)。この頃、トレビゾンド帝国はヨハネス4世が統治していた。オスマン帝国のムラト2世は1...

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